全ての関係は「主従関係」

複数の人の間にある関係のほとんど、いや、もしかしたら全てにおいて、主従の立場が成り立っている。単純な形から極めて複雑な状態までを含め、主従関係というものは確実に作用している。

子供がある一定の年齢に達するまでの親子関係。職場における上司と部下だったり、色んな世界における先輩後輩。子供同士のみならず大人同士にもある強い者と弱い者。ありとあらゆる関係が主従で成り立っている。

夫婦や恋人同士にも顕著で、特に夫婦関係においては、日本には「亭主関白」や「かかあ天下」という言葉に表れている。妻に上手に転がされ支えられた亭主関白もあれば、おだてられたかかあ天下もあるので、文字通りの単純な関係とは限らないものの、多くの夫婦関係には不公平や場合によっては搾取さえも存在する。

また、ある関係によっては、時と場合で主従が入れ替わり、うまくバランスをとっていることもある。しかしながら大抵の場合は固定した主従関係であり、親と年齢の低い子供や上司と部下、先輩後輩などの場合は行き過ぎない限り問題にはならないとしても、同年代同士やお友達、そして男女間など、本来横のつながりであるはずのところに根付いた主従関係はしばしぼ問題を引き起こす。
家庭内暴力であったり、いじめであったり、主が従をねじ伏せるための威圧行動は従にトラウマ的な傷を負わせ、破綻さえも困難な拘束関係に発展し、時には主が従を死へと追いやってしまうことすらある。

一方、喜んで主従の従を受け入れる人たちもいる。人によっては、責任や判断を苦手として他者に委ねるという従の安易さに甘んじる生き方を選ぶこともあり、こういった場合は、引き換えに自らの自由を多少なり主に献上することになる。
また逆に、自分のリーダーシップ的素質や聡明さを相手にかわれているために、好まざるながらも主を振る舞う人もいる。

公平な立場をとっているように見える親友同士の間にも、どちらかがより頼りにされていたり、何かがより得意だったりする優劣を基にした主従関係が必ずと言っていいほど存在している。

何も主従関係の全てが悪いのではない。社会的組織内において有効で不可欠な主従関係もたくさんあるし、そこには主従関係の認知や了解がある。

ただし、無意識であれ了解の無い主従関係は主の従に対する詐欺や搾取であり、そこで一方的に取得される利益の大小にかかわらず、主は自分自身から産出できる以上のエネルギーを従から利用し、従は常にエネルギーを吸い取られ続ける立場となる。

逆に好ましい主従関係とは、主の余りあるエネルギーを不足しがちな従にまで分け与える関係であるが、残念ながらこのように見える関係の多くが、実はこの形態を装った巧みな搾取関係であり、多くのリーダーシップというものの実態はこれである。